人が自身を過大評価する仕組み

自己肯定感の低いあなた!

自分が過大評価することなんてないって思ってませんか?
しかしそれもまた過大評価なんです!

あらゆる観点についての完璧な評価をするなんて不可能です。
過大評価しないと断言することは、あらゆる観点を持ち合わせており、完璧な評価ができると思い込んでいるということです。
過大評価しないなんて、過大評価も甚だしくはありませんか?

なんて煽った所で本題ですが、
正しい評価には正しい評価軸が必要です。

具体例として、「いいプログラマ」とは何か、考えてみましょう。

あなたがプログラマとは縁遠い生活をしているなら、いいプログラマの評価軸はほとんどないと思います。
IT系の営業職の人なんかも「いいプログラマいない?」なんてよく言いますが、いいプログラマがどんな人物であるかのイメージは曖昧です。評価軸がほとんどないためです。

単純に「コードの実装力」に関する評価軸だけでも、いろいろあります。

・知識が豊富
・実装が速い
・ミスが少ない
・他人にも分かりやすいコードが書ける
・きれいな抽象化ができる
・再利用しやすい部品化がうまい
・将来の変更に強いコードが書ける
・バグが入りにくいコードが書ける
・命名が的確で一貫性がある

プログラマの評価軸はコードを書く能力だけではありません。
他者とのコミュニケーション、システムの運用、ツールやサービスの活用、円滑なチーム開発、金勘定などなど
これらもそれぞれに細かい評価軸が挙げられます。

評価軸って想像以上にいろいろあるんだって思ってほしかったのですが、いかがでしょう?

一般に言う"成長する"とは自身が認識している評価軸上での成長を指すことが多いように思います。
実際には新しい評価軸の獲得こそが大きな成長であると言えます。
また、自身の過大評価による失敗は大切な評価軸の欠落に起因することが多いでしょう。

評価軸は無数に存在し、経験とともに増えていきます。
逆に言えば、誰しもが評価軸の偏りがあり、
しかもその偏りは自分がよく知っているものに偏っているのです

自分がよく知っていることに偏った評価軸で評価すれば、自身が有利に評価されることは当然です。
これが自身を過大評価してしまう仕組みだと考えます。

自信が打ち砕かれるということは評価軸の欠落に気づくチャンスとも言えます。
大したことない自身を受け入れて、客観的にどんな視点が足りないかを見つめ直せば、あなたの世界を広げることができるでしょう。

逆に評価軸をアップデートできず、
自分にとって心地よい狭い世界で自身を慰めて生きている人もいます。
世界は無限に美しく広がっているのに、
それを受け入れることを拒絶しているのです。
もっと悪いケースでは、自身の欠陥を認めることに抗うべく、自身に優位な評価軸を過大に見せようとしたり、異なる価値観の相手に攻撃的になったりします。
悲しいことですね。

あなたはすでに過大な自信が打ち砕かれた過去があるかもしれません。
それとも、これから打ち砕かれる未来が待っている若者でしょうか?

いずれにしても、いつまでも自身の無能に打ちひしがれ続けるといいですね。

本:ベネズエラ 溶解する民主主義、破綻する経済

現在、500万人を超える難民を抱えるベネズエラ。難民の数はシリアに次いで二番目に多くなっている。しかし、シリアのように戦争が原因というわけでもなく、災害や飢饉といった避けがたい天災があったわけでもない。ただただ政治が悪くて、民主主義は崩壊し、経済は破綻し、国家は崩壊したと言っていいだろう。ベネズエラの現状から学ぶべきことは多々あると思う。

書いてあること

この本を読むと、なぜベネズエラが今のような状況に陥ったかよく分かる。

 

 エッセンスを取り出して説明する。

 

もともとベネズエラは石油などの資源も豊かな上にラテンアメリカの中で民主的な国であった。しかし90年代には貧富の格差が顕著となり、貧困層を中心に不満が募っていた。

そのような中、国民からの人気を後ろ盾に1999年、ウゴ・チャベスがベネズエラの大統領となる。

彼は"いい人"であった。既得権益を破壊し、医療・教育などがすべての国民に行き渡るように福祉を拡充する政策を推し進めた。実際に彼の政策によって当時の格差は是正されており、彼の人気は不動のものになる。しかし、その政策の実現は強権的なものだった。抵抗勢力を排除し、そのために民主的な仕組みを破壊し、独裁政権を作ってしまった。また力を入れていた福祉政策も結果的には一時的な金のバラマキに過ぎず、身内贔屓の体制ができただけで、持続的な福祉環境の維持にはつながらなかった。

チャベスは2013年、ガンで亡くなる。その後を継いだのが現在の大統領ニコラス・マドゥロである。
マドゥロは悪い人である。独裁政権 + 悪政という最悪の組み合わせで現在に至る。

2018年の大統領選挙を違憲として、フアン・グアイドが暫定大統領となる。しかし、実権はいまだマドゥロが握っている。すでに平等な仕組みが崩壊した状況では、マドゥロ支持者を優遇したり、逆に反発するものの生活を追い込むなどの不正も容易できる。そのように支持者を手なづけることで体制に反発を抑えながら、権力を維持している。
また、グアイドらの反マドゥロ派も一枚岩でなく、様々な意見をまとめることができていない。その上、すでに民主的なプロセスも破壊済みであるため、抵抗が難しい状況にある。

感想①: 民主派の弱さ

マドゥロ政権の悪政は明らかであり、国民の大多数もそのように認識している。それでも反マドゥロ派はなぜ対抗できていないのかに着目したい。上記で述べたとおり、体制側は短期的な損得による囲い込みができることも一因であるが、それとは別の民主派の困難があるように感じる。

民主的なプロセスであるとは、様々な人の意見をきちんと議論するということである。時間もかかるし、多様な考え方があれば、受け入れることのできないものもでてくるだろう。
一方で考えることを放棄して、どの派閥に属するかだけを考える人が集まれば意見が割れないで、スムーズに人が集まる。さらに派閥の人数が多いほど、よりお得になるので、派閥への勧誘や他の派閥への攻撃が積極的になる。
ベネズエラに限らず議論とは程遠い現状で民主主義と呼んでいるものは多数決で専制君主を選んでいるに過ぎない。そんな中で真面目に議論をするのは派閥の分断にしかつながらない。

そもそもベネズエラのように民主的な仕組みが壊されていたら、当然、民主的なアプローチでは国政を改善することはできない。民主派であるにも関わらず非民主的なアプローチを取りざるを得ず、そういった矛盾がまた分裂を誘ってしまう。

感想②: ハイパーインフレ後の通貨

独裁政権といっても、国民があっての国家であるので、国民の経済活動まで自由にコントロールできない。

2019年には200万%というハイパーインフレが起きてしまったベネズエラの通貨ボリバルは国外だけでなく、国内からも信用はなく避けられている。ベネズエラ独自の暗号通貨もできたが、信用の獲得はできず流通はしていない。
現在、ベネズエラ国内では安定した通貨として米ドルの利用だけでなく、ビットコインなどによる暗号通貨での直接の売買も広がっているらしい(参考:バーガーキング、「ベネズエラ」でもビットコインなど6種類の仮想通貨決済を導入)。
暗号通貨として広く知られているビットコインだが、実際の生活で使うのは割と厳しい。第一に瞬時に決済ができるような設計になっていない(何か買うのに10分〜20分程度かかる)し、第二に手数料がかかるので経済効率も悪い。先の本ではその点を改良した暗号通貨であるnanoの利用が広がっていると書いてあったが、調べてみた感じそうでもないように感じる。ビットコインなどは海外からの送金などに主に使われていると思われる。

暗号通貨には非中央集権的性質がある。ベネズエラでの暗号通貨の使用は反政府的に捉えることもできるかもしれない。しかし結局はグローバル経済の中の階級的構造の中に押し込められているだけだろう。

言いたいこと

1. 構造が複雑化している現代社会で独善的な解決をしても大怪我をするだけである。民主主義を維持するためには、政治には結果ではなく平等な「仕組み」を要求するべきで、国民は「仕組み」が平等に機能しているか監視しなくてはならない。

2. 民主的なプロセスが壊れてしまったら、お行儀よく良い子に振る舞っても意味がない。状況に応じてラディカルなアクションが必要だろう。

3. テクノロジーによる非集権的な民主化ができるかもしれない。現状ではテクノロジーも巨大な体制側に管理されており、テクノロジーが使われるほどその構造を強固にするだろう。